ラシーンは僕たちのどこでもドア
日産ラシーン発売当初のキャッチコピーは「僕たちのどこでもドア」だった。これを知っている人も年々少なくって来ていることだろう。
車高がちょっと高くてタイヤもちょっと大きく、しかも4WDという特徴を持つラシーンは少しの段差などまったく気にすることなく運転が出来きる。
たとえば、コンビニの少し背の高い車止めに擦る心配も無く、コインパーキングの段差や高速のカーブなども簡単にスイスイと走れてしまうのである。つまりラシーンなら「楽にどこにでも行ける」ということなのだ。
(さらに詳しくはウェルマガジンで紹介しているのでぜひとも読破していただきたい。)
そんな「僕たちの、どこでもドア」ラシーンに乗って旅をするのは必然であり、今回はラシーンデザイナーである平林俊一氏とスピードウェル(以下、あたし)が「はじまりの国(島根県)」に旅立った。
皆様もこのマガジンを通じて日本各地に存在するステキな場所、文化や歴史を知るきっかけとなり、それらに触れる旅をラシーンやパイクカーで巡って楽しんでもらえれば幸いです。
はじまりの国(島根県)とは?
島根県は出雲大社を中心に多くの神社を擁し、神話の数々の場面にも登場する地域であり、そんな島根県は日本神話の中心舞台なのである。
日本神話とは私達が住むこの日本いう国の誕生にまつわるお話、古事記や日本書紀に記述されている神話のことであり、その神話の中心舞台でる島根県は、はじまりの国となる。
また、島根県は数々の有名なパワースポットの宝庫であり、特に若い女性に人気の観光スポットしての存在も大きいようだ。
そんな歴史が深い島根県をラシーンで平林氏と旅を通して紹介すのが今回のウェルマガジンNo,9号なのである。
旅のしおり
【 平成24年10月 午前7時30分 】
中国自動車道 西宮名塩サービスエリアで平林氏と待ち合わせ。
この日は実に台風が接近しており、折角の旅であるが天気予報では雨であった。空は厚い雲で覆われているようだが何とか雨は降っていない。
挨拶もそこそこに、今回の旅の趣旨の説明と旅のしおりがスピードウェルより配布された。この本格的な旅のしおりに平林氏もさすがにびっくりの様子。
小学校の修学旅行の旅に配られた旅のしおりが、今となっては懐かしく良い想い出である。
そんなしおりは何歳になっても、旅の予定を見るたびにドキドキする事がこの歳になって感じた。皆様も旅行前に、少し面倒ではあるが紙製のしおりを作られてはいかがだろうか?
より一層、旅行が素敵になるかもしれない。(デジタルはダメよ)
さて実は、旅のしおりで予定してた時間よりスタート時点で30分遅れの始末である。
いざ、島根の出雲へ向けて出発進行!!
須佐神社
【 午前11時30分 】 最初の目的地でる「須佐神社」に到着。
30分追加して1時間の予定の遅れであるが大阪から4時間程で到着するから意外と近い。
沢山の参拝客でにぎわう。若い女性も多い。
須佐神社境内には、樹齢1200年以上という立派な大杉が天高くそびえ立つ 。
実はスピリチュアル・カウンセラー江原啓之氏の著書の中でこの大杉周辺は日本一のパワースポットと紹介されて有名な神社となっている。
樹齢1200年以上の大杉
ここ須佐神社は『出雲国風土記』に、ヤマタノオロチを退治で有名な須佐之男命(スサノオのみこと)が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、
「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。
全国の須佐之男命(すさのおのみこと)ゆかりの神社の中でも、唯一御魂を祭る由緒正しき古社として鎮座している。
周辺の地には、須佐之男とゆかりの深い伝説が数多く残されており、なかでも「須佐神社七不思議」は、この地がスピリチュアルな空間であることを証明するかのよう。
あたしはこことぞばかリに思いっきり深呼吸して、体の中にご神気を吸収。
須佐神社では少し体が軽く感じられる程のスピリチュアルなパワーが感じれた。前日
からの頭痛もここで治った。
平林氏もゆっくりとそして隅々まで境内を散策し楽しまれていた様子。
次の目的地へ出発
稲佐の浜
【 午前12時30分 】 「稲佐の浜」に到着。
稲佐の浜(いなさのはま)は島根県出雲市大社町にある海岸であり、日本の渚百選にも選ばれているとても美しい浜である。
インターネット上でも数々の美しい稲佐の浜の写真が検索でき、その中でも稲佐の浜には弁天島という一際目立つ島があり、夕日を背にした弁天島と稲佐の浜の夕景は実に見事である。
そしてこの稲佐の浜は国譲り神話の舞台であり、屏風岩(びょうぶいわ)の岩陰で大国主神(オオクニヌシノカミ)と天照大神(アマテラスオオミカミ)より、国譲りの使命を受けた建御雷神(タケミカヅチ)が国譲りの協議を行ったとされている。
この場所を訪れた際には、戦うことなく国譲りをされた大国主大神の「和を尊し」とするこころを是非とも感じていただきたい。
日本人の和を尊ぶ心は、ここから来ているのではとロマンが駆り立てられるのはあたしだけではないはずだ?
また旧暦の10月10日には、出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられ、今なほ神迎えの神事が行われる、まさに出雲のパワースポットの一つである。
裏話であるが、この砂浜の砂を出雲大社の須佐社の御前まで運べば、須佐社で清められた御砂を持ち帰る事が許されるという。
さっそく砂を袋に。
こういった特別な行為が旅の楽しみの一つであり、心身を癒すサプリメントかもしれません。
出雲そば
【 午前12時30分 】「出雲大社」に到着。
早速の参拝と境内散策をしたい所ではあるが、旅のしおりの時間配分の不手際(行く先々が楽しくて)から予定時間が大幅にすれこんでいたために時間はすでに13時30分。遅くはなってしまったがお昼ごはんです。
早速、大社境内にあるそば屋さんで出雲そばを頂くことに。
やはり旅先での食事は何よりの楽しみの一つ。やっぱりその土地ならではの何かを食べたいものだ。ということで、出雲そばを注文する。
この出雲そばは、そば粉を挽く時にそばの実を皮ごと挽く為、色が濃く香りが高いのが特徴で、皮ごと挽いているので黒っぽい麺になる。
「割子」という朱塗りの椀に盛られたそばに、ネギ、大根おろし、とろろ芋、のりなどの薬味をのせて、各店秘伝のだし汁をかけてたべる。
だし汁もイリコや椎茸などの風味も感じられこの地方以外ではなかなか味わえない味で本当に美味しく、平林氏もご満悦の様子。
心もお腹も一杯に満たされたところで出雲大社参拝へ。
出雲大社
出雲大社の正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。
また、拝礼の作法も一般的な二拝四拍手一拝と異なり、出雲大社では唯一、二拝四拍手一拝の作法で拝礼が正式な作法とされています。
かつては単に大社(おおやしろ)といえば一般的には出雲大社(島根県出雲市)のことを指していた様である。
全国でも諏訪大社や春日大社など多くの大社が存在しますが戦前までは出雲大社と熊野大社(島根県松江市)の2社しか存在しなかったという格式高い大社なのです。
平林氏は出雲大社はもとより島根県自体が始めてのコトの様で、今回のラシーンに乗っての旅も楽しみにされていたとの事でした。
10月は神様が居なくなる月として「神無月」と良く言いますが、全国の神様は10月なるとここ出雲大社に集まっていたんですね。よって島根県では神無月ではなく「神在月」といい全国から八百万の神々が集まり神議が行われているのである。
日本神話によれば、大国主神が天津神(アマツカミ)に国譲りを行う際の代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるという。
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇の祖)の命によって、国津神(クニツカミ)である大国主神の宮が建てられたということであり、
その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。
出雲大社本殿は、今でも神社建築の中では日本一を誇るわけだが、平安時代の創建当初の高さはなんと現在の約倍の高さ48mや96mという資料まであるのだから実に驚きである。
世に『雲太、和二、京三』と謳われる。
※一番は出雲大社、二番目は東大寺の大仏殿、三番目は京都の大極殿の高さの順を言う。
当時の建築技術でそんなに高いものは作れないのでは?と長い間伝説とされていたようだが、2000年に本殿八足門前の出雲大社境内遺跡から当時のものとされる宇豆柱(うずばしら)が発見され、かつての本殿の巨大さを証明するものとして注目された。
実際に発掘されたものは、出雲大社東方の古代出雲歴史博物館で見ることが出来るので参考にして頂きたい。
当時の技術レベルを超えて製作されていたのか、何度も倒壊し、そして何度も建て直すのだから当時から日本人は世界一と言える偉業を成し遂げていたのだなと、そこであたしはとても感心するわけだ。
出雲大社参拝も終えて、ここで出雲大社の須佐社の御前に先程持ち帰って来た稲佐の浜の砂を奉納。
そして清められた砂を少し持ち帰ることに成功した。
この清められた砂を玄関に置いたら厄除けになると言い伝えられている。
ぜんざい休憩
出雲大社の境内はとても広く見るべき所沢山あり。ゆっくりご神気を感じながら散策していると時間は「あっ」と過ぎてしまうもの。
気付ば時間は15時30分!!本来であれば「旅のしおり」で記載していた予定である「古代出雲資料館」と「しまね神話博」を見学したい所ではあったのだが時間も押しに押してしまったから、心残りではあるが今回は断念。
気持ちを切り替えて、ここでお楽しみのスイーツタイムが始まる。
10月は神無月(かんなづき)というのは一般であるが出雲では10月になると全国の神様が集まるコトから神在月(かみありづき)と呼び神迎えの神事 (神在祭)が執り行われる。
そして神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を皆に振舞うのである。その「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって京都に伝わった。
だからぜんざい発祥の地は出雲なのだそうだ。(東日本などの地域では、粒餡を使用したぜんざいを汁粉(しるこ)と呼んでいる。)
旅のいっぷくはご当地のスイーツがとてもよろしかろう。
スイーツでほっこりしたところで、一路旅館へ。
旅館
本日の宿泊先は島根県松江市玉湯町玉造にある玉造温泉「湯之助の宿 長楽園」であ
る。
玉造温泉(たまつくりおんせん)は、三名泉とされ、規模、歴史ともに県下随一、城
崎温泉や皆生温泉や三朝温泉らと共に山陰を代表する温泉地とのこと。
この落ち着いたロビーがたまりません。
豪勢なお料理。次から次へとお料理は運び込まれます。
美味しい料理を前に平林
氏とゆっくりお話しができ、楽しい時間が流れてゆく。
この長楽園は日本一大きな混浴露天風呂を有するお宿です。
さらに一万坪の立派な日本庭園もあります。
松江の水燈路
旅館から15分ほど走り19時30分、松江城下に到着。
松江城周辺をライトアップする光のイベントが催されており、城下町松江ならではの
光と影が織りなす幻想的な風景を楽しむことができる。
出店が立ち並び、すごい賑わいだ。はぐれないように気を付けないといけない。
水燈路の目玉は、一年でこの時だけの「堀川遊覧船
夜間運航」。
船上より、風情ある街並みが残る塩見縄手に目をやると、水燈路行灯400個がゆらぎ、水面を映しだす。
今回は平林氏と一緒にこの遊覧船に乗船したが、船頭さんのジョークと歌により楽しく遊覧することができた。だんだん。
※だんだんとは出雲の方では「ありがとう」の意。
ここで、雨が降って来たのでライトアップされた松江城は残念ながら諦めて旅館へ帰宅。
一日目は露天風呂を楽しみこれで終了となる。
二日目の朝
朝早起きし「長楽園」ご自慢の一万坪の日本庭園を散策予定でしたが雨天により中止
し
あたしは朝からまた温泉につかって、それから朝ごはんへ。
目の前でよそって頂いたご飯は格別に美味しく感じます。
しっかりと朝食をいただきました。
玉作湯神社(たまつくりゆ)
10時に旅館を出発し二日目のスタート。
二日目は残念ながら朝から雨天からのスタートではあるが昨日のように晴れる事を祈れば、おお晴れてきた。
玉造温泉 湯之介の宿「長楽園」から車で2分走った所でさっそく玉作湯神社に到着。
すでに気付かれた方も多いかもしれないが、玉作湯神社の「玉作」ということからも想像できるだとうかここ玉湯町は三種の神器でも有名な
「勾玉(まがたま)」が太古の時代盛んに造られていた場所なのである。
近くにそびえる花仙山では、古代より良質の青メノウや赤メノウが産出された地域であり、ゆえにこの玉湯町は玉作りが大変盛んだったエリアで、玉作り関連の遺跡が数多く発掘されているのである。
持参の石を「願い石」にあてがいパワーを移されている様です。
そんな石に縁のある場所には、やはり石に関するスピリチュアルスポットがあり、触って祈れば願いが叶うと言われる『願い石』が玉作湯神社の境内に奉られている。
はるか昔から「願い事を叶えてくれる」と評判の石で、島根県内でもとっても人気のスピリチュアルスポットだそう。
社務所で『叶い石』を購入し願い石に当て願いを込めるとなんでも叶うのだというから特に若い世代の女性に人気があり、境内は良縁を求める市井の人であふれていた。
そんな玉作湯神社は、玉造温泉の小高い林の中に鎮座まします式内の古社である。
神社の境内は全域が国指定の史跡で、最古の勾玉作りの場所となっていて、多くの出土品がある。
玉作湯神社は櫛明玉命(玉作りの神)と少彦名命(温泉の神)、大名持命(国造り・温泉療法の神)をお祀りしている。
勾玉資料館(たまつくりしりょうかん)
玉作湯神社から車で約2分で松江市立出雲玉作資料館に到着。
全国唯一の玉作資料館には、常設展として「古代出雲の玉作り」として勾玉の製造方法や出土した勾玉を製造する為の道具などを柱に「近代めのう細工」「布志名焼の歴史」など見ごたえのある数々の展示がさている。
そもそも勾玉とは?など興味を引く展示がなされており勉強。あたしの勾玉についての知識が得られた。
この地で産出され勾玉の材料であるメノウという鉱石は良質で非常に固くモース硬度は8〜9に値し地球上の鉱物の中で最も硬いダイヤモンドの硬度10に次ぐ硬い鉱石である。
勾玉のお勉強が出来た所で今回の旅の想い出づくりに「勾玉造り体験」に出発した。
まがたま伝承館
10時30分 勾玉資料館から約5分でまがたま伝承館に到着。
勾玉のその形は全国各地によって多少の違いがあるようだが、ここ「いずもまがたまの里伝承館」は、
ふっくらとした丸みを帯びた伝統ある「出雲型勾玉」を唯一継承し守り続けている“まがたまの里”である。
近畿地方では「大和型勾玉」という尾が少しとんがった形をしている勾玉が出土している。
館内に入るとすぐに巨大な勾玉が展示されており唯々圧倒される。
また、「勾玉ミュージアム」として勾玉の歴史と秘密の展示がなされているので勾玉資料館で勉強したことを復習しておきたい。
そのお隣りでは「めのう細工実演工房」として熟練職人による勾玉製作が目の前で繰り広げられおり手慣れた手つきで勾玉が徐々に形作られ命を吹き込まれていく様子には、ただただ感嘆するばかり。
名工たちの熟練した技と勾玉の美しさに釘付けになりそうだ。
さて勾玉の知識も深くなり、熟練職人の作業も勉強させて頂いたところで、平林氏とあたしも自らも勾玉作りにチャレンジ。
ここ「まがたま伝承館」の「勾玉作り体験」では蝋石(ろうせき)という比較的加工しやすい石を使い、約1時間半かけて出雲型の勾玉へと仕上げていきます。
ヤスリやサンドペーパーを駆使して少しずつ磨きをかけていく過程は意外に楽いく平林氏も無言で作業に没頭してしまいます。
しかも、こうして磨きをかけていくうちに、自分の願いが勾玉に宿っていくように感じるのです。
もちろん、スタッフの方が丁寧に勾玉造りを方法をアドバイスしていただけるので安心です。
最後はひもを選びお好みのビーズなどをあしらって完成です。
ビーズも豊富で組み合わせに大変迷います。
こちらで勾玉を制作されると「勾玉づくり体験終了証書」がいただけます。
平林氏も無事に勾玉が完成し、証書を授与されました。
みんなそれぞれの個性が現れています。
苦労の末、ピッカピカに磨き上げた“自分だけの勾玉”は特別な物。いい想い出の品となりました。
まがたま伝承館では「めのう製品販売コーナー」も用意されており名工が作った勾玉やオリジナルアクセサリーなどが販売されておりショッピングはもちろん、見るだけでも楽しめます。
シラウオのかき揚げそば
穴道湖しじみのラーメン
一通り楽しんだところで穴道湖が一望できる2皆の展望レストランで昼食。
やはり、ここでしか味わえない物をご注文です。とにかく美味しい。
八重垣神社
14時30分 八重垣神社へ到着。
八重垣神社は松江市の中心より南方の山沿いにある御社で「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」という出雲の古い民謡の一節からもわかるとおり、八重垣神社は出雲の縁結びの大神として知られている様である。
また、素盞嗚尊(スサノオ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後、日本初の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」
と詠んで櫛名田比売(クシナダヒメ)との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。
先程制作した勾玉を御神水で清めてから八重垣神社にてご祈祷お祓いをしていただきました。
八重垣神社の神主様の丁寧なご祈祷お祓いにはただただ頭が下がる思いで本当に有り難い想いになりました。
神恩感謝。
社殿後方には「鏡の池」と呼ばれる神池があり、良縁占い(銭占い)が行われる。
占い用紙に百円か十円硬貨をのせ、浮かべてお祈りします。用紙が早く沈むと(15分以内)良縁が早く遅く沈むと(30分以上)縁が遅れると言われまた近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人と結ばれると言われています。
社務所で売られている薄い半紙の中央に、小銭を乗せて池に浮かべ、紙が遠くの方へ流れていけば、遠くの人と縁があり、早く沈めば、早く縁づくといわれ、若い女性にとても人気のあるパワースポットのようです。
次から次へと女性がやってくるので、昨今のパワースポット巡りの流行を肌で感じ、その熱心さにただただ脱帽だな。
熱心に巫女さんが境内を案内している姿もとても素敵でした。
この夫婦椿は根元は2本、地上で幹が1本にくっついているという、なんとも仲むつまじい椿が神社の入口と境内に生えている。
これは、稲田姫命が地面に立てた2本の椿の枝が芽吹いて1本になったという言い伝えがある「夫婦椿」で、一心同体、愛の象徴として神聖視されています。
大山
16時50分 大山まきばみるくの里へ到着。
今回の旅も残すところ「大山まきばみるくの里」だけとなりました。早くも名残惜しい気持ちに。
この大山まきばみるくの里は名前の通り大山という山にあるのだがとても素敵な場所で是非ともラシーンで走ってみたい、ラシーンに似合う場所になっている。
また、みるくの里のソフトクリームは生乳をたっぷりと使ったみるくの里特製で過去1日に約5000個売り上げた事もある大人気商品だそう。
早速頂いたが本当に濃厚で美味しかった。米子自動車道からもそんなに遠くないので、是非よって食したい一品である。
旅の終わり
楽しいラシーンとの旅もとうとうクランクアウトに。
最後にあたしのわがままラシーン旅行に付き添っていただいた平林氏にスピードウェルが製作をお手伝いした国際貿易さんの造ったラシーンミニチュアカー全9種類すべてを旅のお礼に贈呈させていただきました。
平林氏も今回特に苦労したボディの色味の出来には大変満足して頂けたようである。
HyperNeutral 平林俊一
幼少の頃、父に連れられて鈴鹿サーキットに行くところからクルマに興味をもつ。 1991年、日産自動車に入社。デザイン本部、デザイン開発室に配属される。 ショーカー・デュアドのパーツデザインを手掛けた後、ラシーンのエクステリアデザインを担当する。 その後ルネッサ、エクストレイルのインテリアを担当、1999年に独立。 概念、デザイン、音楽と多方面で活躍する。
http://blog.livedoor.jp/its_new1969/
あとがき
本当に「あっ」という間の旅だった。どこでもドアかのようにあっちこっちに出かける事ができ、タイムマシーンのように歴史の始まりからラシーンに乗って見れたような、
そんなツアーでありそして、このような素晴らしいクルマをデザインされた平林俊一氏とご一緒にラシーンと共に出来た事がとてもうれしく思いました。
今度は、この面白いツアーを皆様としたいと考えておりますので、それは後日のご案内とします。だんだん。